忘れていた感覚が、息をする。

Still

「誰かの答え」から降りる日

    知らないことが増えると、私たちは落ち着かなくなる。

    だから無意識に、正しいものを探す。
    これであってるかな。こっちでいいかな。間違えたくないな。

    弱いからでも、浅いからでもなくて、ただただ安心したい。
    これは、すごく自然なことだと思う。

    そんな中、情報は止まらないし、答えは毎日更新されるし、正しさみたいなものが、流行みたいに入れ替わっていく。そうなると私たちは、さらに「確かなもの」を欲しくなる。誰かの成功の方法とか、うまくいった人の考え方とか。これさえ守れば安心、みたいなもの。

    参考になることも、便利なこともたくさんあるけれど、いつの間にかそこに寄りかかりすぎると、自分の軸がちょっと薄くなっていく感じがする。
    本当は、私たちの人生には、答え合わせなんてないはずなのに。決まった問いが用意されていて、そこに正解がぴたりと置かれているわけでもない。

    日々の出来事は、曖昧で、自由で、その都度、感じたり、迷ったり、確かめたりしながら、自分なりの意味を置いていくしかない。

    私は、「自分の感覚を使って、自分の時間を生きる」ことを、大事にしたいと思っている。だから「誰かの答え」を集めるよりも、自分の中に残るわずかな感覚を大事にしたい。

    そしてもうひとつ、忘れたくないこと。それは、他の人の地図を借りてきて、それを自分の地図だと勘違いしないことだ。誰かにとっての正解が、そのまま自分の正解になるとは限らない。

    この世界には、人の数だけ感じ方があって、選び方があって、歩き方がある。そういう前提で、ものごとを見ていたい。

    答えをみつけるというより、答えを焦らなくていいところ。
    すぐに意味へと昇華させなくてもよくて、評価や正解から、距離を取っていいところ。
    自分の感覚が、めぐりめぐって戻ってくるまで、待っていてもいいところ。

    私が求めているのは、そんな間奏(Intermezzo)みたいな時間。
    次に進む前の、短い呼吸だ。

    何を感じるか、どんな言葉が浮かぶかは、それぞれ。だからこそ、決めつけずに空白を残しておきたいと思う。

    人生を簡単にできるわけではないけれど、自分の感覚を手放さずに暮らしていくための、わずかな支えになれるかもしれない。

    不安を消すための答えではなく、安心して迷うための言葉を紡いでいきたいと思う。

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