忘れていた感覚が、息をする。

Still

作品じゃなくて、生活の中にある「つくること」

    クリエイターって、文章を書いたり、曲をつくったり、作品として何かを生み出す人のことだと思われがちだけれど、私は、全員が「自分の人生という物語のクリエイター」だと、本気で思っている。

    それは、発表してもしなくてもいいし、どこかに届ける必要もない。作品にしなくてもいい。
    ただ、自分が自分の人生を「つくってる」という意識が、何より大切なのだと感じる。

    「人は、ひとりでは生きていけない」
    そう頭ではわかっていても、自分だけが取り残されたような気持ちになる日がある。誰とも話さない日だってある。

    だけど歩道のすみを歩いているとき、もしかしたら誰かの視界に少しだけ映っているかもしれなくて、私たちは、そんなことに気づかないまま生きている。

    だから私は、いわゆる「クリエイター」と呼ばれる人たちだけでなく、むしろ、そういう肩書きや表現の世界から少し距離を置いて暮らしている人たちの中にも、この静脈のような感覚が流れているように思っている。

    「いやいや、自分なんて創作とは無縁だし」
    そう思っている人のそばに、
    「でもさ、人生そのものが創作かもしれないよ」
    そんな、消化の良い言葉をひとつ、無言でポンと置いておくような気持ちで。

    完璧じゃなくていいし、いいことばかりの物語なんて味気ない。凸凹があるから、転がっていける。
    うまくいかない日もあるから、景色の表情も変わる。

    どうしてこうも、私は抽象的なことしか書かないんだろう、と一時悩んだこともあった。
    でも思ったのは、私は、創作や表現の話をしているようでいて、実は、生きることそのものの話をしたいのだということだった。だから、文章が抽象的になるのは当然なのだ。
    人の数だけ、物語があるのだから。

    私は、それをカテゴライズすることも、網羅して書くこともできない。ただ、「自分の人生を、自分でつくっている」と意識すると、その人生をどう進めるかを決められるのは、いつだって自分だけだと思える。そう思えたら、人はほんの少し強くなれそうな気がする。

    「綺麗ごとばかりだ」と思われるかもしれない。
    たしかに私は、しんどさや苦しいことは、あまり書かないようにしている。
    でも、それは誤魔化してるんじゃなくて、そういう部分は、自分の中でこすってこすって、すり減らして、小さくしていくしかない、ってわかってるから。誰かがズバッと突いてくる必要なんてない。そこに触れることができるのは、自分だけだと思うのだ。

    だから私は、つくることの静脈をコトンと置いておく。

    人生をつくるあなたのとなりへ。

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