忘れていた感覚が、息をする。

Breath

定位置のある夜

    鍵を置く場所を決めるだけで、夜を安心できる。

    玄関で靴をそろえて、コートをかけて。
    いつものところに鍵を置く。
    それだけなのに、今日がここで無事に終わっていく感じがする。

    私は昔、心が静かな人になりたいと思っていた。
    静けさは性格だと思っていた。
    おだやかで、落ち着いていて、ぶれなくて、余白を持っている人。

    でも、それは少し違うのかも、と気づいた。
    静けさは、生まれつきの性質というより、日々の配置でつくられていくのだ。

    たとえば、部屋のなかに「自分に還れる場所」があるかどうか。
    休める灯りがあるか。
    気持ちが落ち着く位置があるか。

    全部が整っている必要はない。
    静けさは、完璧さから生まれるわけじゃない。

    私にとっては、小さく決められているものがあるときに、静けさが来る。

    鍵はここ。
    スマホはここ。
    カメラはここ。

    そんなふうに、生活のなかに小さな定位置が増えると、気持ちの散らかりも、徐々に落ち着いていく。

    静かな人になるのは難しい。
    でも、静かな環境をつくるのは、少しならできそう。

    今夜だったら、

    テーブルの上を少し空ける。
    スマホは伏せておく。

    それから、ペンを持つ。
    頭にある単語を、ノートの上に並べてみる。
    たとえ文章にならなくても、言葉が少しずつ落ち着いていく。

    そのときの私は、静けさを頑張っているわけじゃない。
    ただ、静けさを招きやすいように、用意しているだけなのだ。

    もちろん、静けさが足りない日もある。
    そんな日はまだ、置き場が決まっていないだけ。

    また、鍵を置くところから始めてみよう。

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