はじめてカメラを手にしたとき、
うれしさが抑えきれなくて、何か書き残したくなった。
けれど、言葉がまったく見つからない。

理由を探すというのは、頭で理屈を組み立てること。
その作用が鈍るというのは、このカメラの魅力が、理屈ではなく感覚のほうに触れているからかもしれない。
・カメラが好き
・写真が好き
・一枚を撮るまでの工程や、そこに乗せられていく気持ちが好き
そんな想いが何層にも重なっていって、「好き」の理由に、心が追いつけなくなっていた。

なぜ、どうして、
なんて意味のない、もっと遠く尊い世界へ導かれていく。
もっと深くて、
もっと静かな、
説明のいらない場所にいる。

なんか好き。
よくわからないけど好き。
この、得体の知れない「なんか好き」は、
根拠のあるそれより、ずっと根は深く、
たとえば、忘れたくても忘れられない本や音楽。
言葉にできないのに、心に居座り続けるアート。
そういったものは、なかなか人にうまく伝えられない。
でも、ひっそりしているそれらほど、外に出したときに、やさしい光を放つ。

「撮ることに理由なんて、ない。」
彼の言葉が、ずっと胸に残っている。


言葉にできない、伝えられない。
けれど、
「いつも大切にしているもの」
「気づくと抱きかかえているもの」
は、誰の心にもあるものだと思う。
大切にしているけれど、名前のないもの。
誰にも見せていないけれど、ずっと抱えているもの。
こういう感覚は、うまく言葉にできないけれど、
人生の芯のようなところで、自分を支えてくれているように思う。
小さくて、繊細で、掴みにくい「なんか好き」は、いつしか、人生をかたちづくる一滴になる。










時折見逃してしまうんだ。
Saul Leiter
大切なことが 今 起きているという事実を。

