忘れていた感覚が、息をする。

感じることを、誰にも渡さない

言葉が、前を歩いていく感覚がある。

自分はまだ、よくわからないのに、
ちゃんと感じきれていないのに、
整った言葉が先に完成して、もう歩き出しているような。

AIが登場してから、その感覚が急速に増えた気がしている。

AIは、言葉にできない苦しさを軽くしてくれる。
うまく形にできなかったものを、すぐに整えてくれて、考えをまとめたり、表現を磨いたり、時間と労力を助けてくれる。
書く人にとって、心強い相棒のような存在だと思う。

これからも、言葉はもっと加速する。
整った文章が、あっという間に出てくるようになる。

便利だ。本当に。

でも、少し怖さも感じている。

それは、言葉が「正解」として先に立ってしまうこと。

まだ、自分の内側で揺れていて形がみつからないのに、きれいに整った言葉だけが一歩先へ出る。
正解っぽい美しい言葉が、先に光を浴びてしまう。

目の前で言葉はできているのに、そこに本人がいない。

このズレが、これから徐々に増えていくのだと思う。

Mezzonaryは「AIに書かせない」でもなく、
「AIを敵にする」でもない。
むしろ、きちんと使いこなしたいと思っている。

ただ、順番がある。

まず感じる。次に考える。
自分の言葉で、いったん置く。
そのあとにはじめて、AIに託して整えたり、磨いたり、広げたりする。

この順番を守ることで、言葉が自分を追い越さない。
言語化が「外から流れてくる正解」ではなく、「自分の内側の延長」として働き始める。

AIを「答えを出すもの」ではなく、「自分の言葉を磨くツール」として扱う。

その違いは、小さいようで、大きい。

感じることは、何にも代替できない。
AIにも、他者にも、譲れない。

それは、自分だけが抱えられる源のようなもの。
誰にも預けられない、自分の人生の核心だと思っている。

だから、「感じる」という工程を飛ばして、いきなりAIの言葉に合流してしまうのはもったいない。
便利さと引き換えに、自分の重心を手放すことになりかねない。

何を大切にするか、何を残すか、どこで止めるか。
その判断は、これからも私たちの側にある。

私は、「感じることが麻痺する」を経験している。

薬の副作用で、悲しいも嬉しいも楽しいも平らになって、何も響いてこない日々があった。
感情の起伏がなくなるということが、こんなにも「無」で、こんなにも遠い感じがするものかと思った。

「感じられること」は、当たり前じゃない。
回復も、成長も、祈りに等しい尊さだと、今も思っている。
だから、信じている。
思い、感じた分だけ、昨日より今日、今日より明日へ進んでいけると。

AIで言葉は速くなる。
でも、速さのレースはしない。
「感じる」という遅さを守り、その遅さからしか生まれない強さを育てていきたい。
言葉がどれだけ増えても、自分を見失わないための土台を、置いていきたい。

このサイトは、それを「技術」ではなく「生き方」として書いていく。
感じることを中心に置いた、誰かの日々の足がかりになれたらいいと思っている。

今日、何かを感じたとしたら。
その感覚に、少しだけ名前をつけてみる。
それは、うまく言えなくてよくて、「なんか、こんな感じ」くらいで十分だと思う。

それが、言葉の始まりだと信じている。

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